Tuba Concerto
「チューバ協奏曲」藤倉大

この作品はチューバ奏者、オイスタイン・ボーズヴィック氏がソロを初演するという前提に書かれた。僕は作曲をする時にはいつも、その作品の初演の 奏者と、スカイプで話したり、楽譜を書いてはメールで送って、その断片を弾いたものをスマホで録音し、送り返してもらったりと、毎日密接なやりと りをしながら進める。オイスタインとも同じように進めた。今回はまず、「チューバという楽器の魅力は?」そして、「チューバを吹く時、どういう時 に快感を覚えるのか?」などの点が、僕の興味を惹いていた。
ちなみに僕は協奏曲を書くのが大好きだ。ソロの楽器の特性をどう最大限活かす「世界」を作れるか、が協奏曲を書く上での醍醐味だと思っていて、 オーケストラはそのソロ楽器を活かす「世界」そのものだと考えている。
チューバとは本来ものすごくセクシーな楽器だ。このセクシーさが、古典のチューバの使い方では活かされていないものになってしまっている! と僕は感じ、この楽器を活かした世界を書けるのは、もう僕しかない!と勝手に思い込み(笑)、書き進めた。
そうやってできた作品は、すごく情緒豊かで、オーケストラがチューバの長いメロディに「寄り添うように、まるでアイスクリームが溶けていくような 感じで」絡んでいく。
オイスタインとのスカイプでの会話に、「ホルンやトランペットはオーケストラの中でもメロディを吹く部分が出てきたりして、長いソロ的なメロディ を吹ける奏者がいるが、チューバはどうしても単に必要な低音を鳴らすだけのことが多くなり、ソロ的に演奏できるチューバ奏者が少ない!」と言って いた。この協奏曲では、チューバは当たり前ながら主役中の主役。長く、音域の広い音楽を、官能的に吹き続ける。「チューバってこういう楽器だった のか!」と、僕もこの作品を書く上でのリサーチで、よく分かって嬉しかった。

この協奏曲は、元の委嘱先であるアメリカの音楽祭がトラブルによってキャンセルになり(後にこの音楽祭全体がキャンセルされ大問題になったこと は、アメリカの大手の新聞でも大きく載った)、一時は、初演はどうなってしまうんだろうか、と危ぶんだが、東京芸術劇場に今回救っていただき大変 嬉しく思います。


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