藤倉大インタビュー

イギリス在住の藤倉氏。
2009年は尾高賞、芥川作曲賞を受賞して、海外だけでなく飛躍的に日本での知名度も上がった。まさに旬の作曲家である。この1ヶ月の間にドナウエッシンゲン音楽祭で新作初演に立会いイギリスに数日戻り、日本へ、これからはすぐノルウェーへ飛ぶのだそう。京都賞での仕事を終えた束の間の休息にお話を伺った。

これまでに習った先生方についてお話頂けますか?

トリニティ・カレッジでダリル・ランズウィックに、ロイヤル・カレッジでエドウィン・ロックスバラに習いました。ロックスバラは僕とテイストがとても似ていましたね。キングス・カレッジでジョージ・ベンジャミン。ジョージは非常に丁寧で素晴らしい先生でした。今でもこの3人と交流があります。ジョージのレッスンは3時間4時間の夕食付きということもありました。システムは、曲が完成したら楽譜を送って、2週間後に行く。するとどんな楽譜でも隅から隅まで読んでいるのです。オーケストラでもここのコードがとかピアノで弾いてくれる。レッスンが終わって帰宅すると携帯メールで「言い忘れたのだけど、65小節目の2拍目のオーボエの2番はソの♯とあったけど、ラの♭だよね?」って(笑)本当に良い先生に恵まれました。それと同時にロンドンシンフォニエッタで知り合ったメンターがエトヴェシュでした。ヨーロッパの様々な活動も彼なしでは考えられないです。

クラシック音楽以外で影響受けた音楽はありますか?

僕は映画が好きで、実験的なものから商業的なものまで1日に3本も観ることもありますが、例えばElliot Goldenthalが好きですね。「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」「エイリアン3」などで知られています。「ヒート」はエレキギターオーケストラとクロノスカルテットが弾いたオープニングとか最高ですよ。Thomas Newmanも好きですね。今コラボレーションをしているデイヴィッド・シルヴィアンも中学生の頃から大好きですね。

15歳で渡英して、イギリスで作曲家になるための勉強を開始されたわけですが、現在までの経緯をお教えください。

いろいろとコンクールには出していましたが、1998年にポーランドのセロツキ国際作曲コンクールに入ってから状況は変わりましたね。それ以後は学校も僕の活動をバックアップしてくれるようになったし、僕自身も学長室へ行って直接交渉をしたりしました。ずっとオペラを書きたくて、卒業試験のためにオペラを書いてすべて自費で学外でやりました。ベリオの「リサイタル1」と僕のオペラをやりました。そのときにホール代は人から借りて、チケット代で返そうと考えたのです。オーケストラをどうやって集めたかと言うと、僕の学校は演奏家も卒業するときにコンサートをやらなければならないのですが、現代曲を必ず1曲入れなければいけないのです。みんな現代音楽は嫌いだからやるなら知り合いでと僕に頼んでくれました。1年生のときは1人、2年生のとき5人、3年生のときは10人、4年生のときは17人! 委嘱料なし、でも僕が困ったら助けてねと。みんな心地よく、春休みのアルバイトをキャンセルしてまで手伝ってくれたのもいましたね。打楽器も学校のオーケストラマネージャーと仲良くなって借りたり・・・。リハーサルも1週間とってなんとかできました。現代音楽も関係ないナイトクラブへチラシ配りに行ったりもしましたね(笑)。僕は、2005年9月のルツェルンまで出版社もエージェントもいなくて、自分にはつかないと思っていたので、自費出版できるように製本機も自分で買っていましたからね。すべてやる、というのはいい経験になりましたね。

自分の作品で表現したいことは?

1曲1曲で違いますね。《…as I am…》では言葉の発音とオーケストレーションがどれだけ合うかとやりたかったのです。ですから詩と作曲が同時進行で行われました。子音にはシンバル、母音には滑らかな音をつけたり・・・。《Atom》はイメージ的に原子の粒がどんどん大きくなってフレーズになって最後にメロディになる経過を見せたかったというのもありました。《Vast Ocean》はスタニスワフ・レムの「惑星ソラリス」からきてます。どれも違いますね。イメージ+今の作曲の目標ということが多いですね。作品が演奏されて録音を貰うと数ヵ月後に自分だけで反省会をして克服すべき目標を考えて、今後の作曲予定と照らし合わせたりします。ラッヘンマンに「好きなものでなく、嫌いなものをやってみたら?」と言われたことは新鮮でしたね。嫌いな曲にも次の曲へ繋がることってあるのです。12人の打楽器合奏曲《Phantom Pulse》は「弓で打楽器を弾きたくないな」って言われたのを使いました。12人が弓を使う曲を書いてやろうと、反発精神というか、やめろと言われたらやりたくなるのですね。それで「結構いいじゃない」と言わせる。

海外在住の日本人として自国の音楽や文化との取り組みはどうなさっていますか?

僕ほどナショナリスティックじゃない人間って他にいないと思うのです。国籍なんてどうでもいいと思いますね。イギリスに住んでいなくてもいいと思います。たまたま育ったのが日本でしたが、自分にもしも日本的なものがあるとしたら、削るだけ削り取る努力をします。

今後の活動は

いろいろありますが、最もやりたいのはオペラです。台本はハリー・ロスで、編成は15〜20人の室内オーケストラで人間の心理がテーマです。《as I am》でも試したのですが、いろいろな感情のある曲を書いていきたいです。芸術的な深みもあって、パッと聴いても面白いオペラを書きたいですね。20歳頃から言っているのですけれどね(笑)。

2009年11月東京にて(インタビュアー 西 耕一)「音楽現代」2010年1月号掲載



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